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多くを失い身一つになっても、集えば人は語りだす。
伝える人と、耳をすます人の間に生まれた、語り継ぎの「記録文学」
「すこしの勇気を持って、この人に語ってみよう、と思う。その瞬間、ちいさく、激しい摩擦が起きる。マッチが擦れるみたいにして火花が散る。そこで灯った火が、語られた言葉の傍らにあるはずの、語られないこと、語り得ないことたちを照らしてくれる気がして。それらを無理やり明るみに出そうとは思わない。ただその存在を忘れずにいたい」(はじめに)
はじめに――語らいの場へようこそ
第1章 おばあさんと旅人と死んだ人
第2章 霧が出れば語れる
第3章 今日という日には
第4章 ぬるま湯から息つぎ
第5章 名のない花を呼ぶ
第6章 送りの岸にて
第7章 斧の手太郎
第8章 平らな石を抱く
第9章 やまのおおじゃくぬけ
第10章 特別な日
第11章 ハルくんと散歩
第12章 しまわれた戦争
第13章 ハコベラ同盟
第14章 あたらしい地面
第15章 九〇年のバトン
声と歩く――あとがきにかえて
はじめに―語らいの場へようこそ
災禍に遭う。困難を抱える。大切なものを失う、奪われる。できるならそんなことは誰の身にも降りかからない方がよいのだけれど、現状、なかなかそうもいかない。自然災害に見舞われたり、事件や事故に巻き込まれたり、生活圏で戦争や紛争が始まったり、あるいは心身に傷を抱えることもあるし、生きづらさに深く悩むことだってある。この地球上に生きている限り、まさにいま、見知らぬ誰かが、自分自身やとても近しい人が、苦しい経験をするかもしれない。その予感自体が恐怖であるから、日常生活を送るうえではあまり想像したくはない、忘れていたいものではある。だけど、だとしても、逃げているばかりでよいのだろうか? とも思う。
この本は奇しくも、こうして大きく揺れていた(いや、これからもっと困難な時代が訪れるのでは、という不安が強いのだけれど)社会のちいさな記録にもなったと思う。ひとつひとつの章は、「物語」と「あとがたり」で構成している。何かを語ってくれたその人が感じていたであろう'語れなさ,と、その語りの傍らにあったはずの、語られないこと、語り得ないことを忘れずに残しておくために、創作の「物語」という余白を含み込める形を選んだ。「あとがたり」には、おもに実際の語りの場の様子やそのときどきの気づきを記している。
身を寄せ合い、輪をつくり、語らう。そこで、自分たちに起きたこと、起きていることを確かめ、互いの知恵を交換しながら、これからについて話しあう。誰もがきっと必要としているちいさな場の連なりが、そっと灯された物語を、遠くまで運んでゆくのを想像しながら。
誰もがその輪の中に招かれることを祈って。
瀬尾夏美 (セオ ナツミ) (著)
1988 年、東京都生まれ。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2011年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとのユニットで制作を開始。2012 年から3 年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行なう。2015年、宮城県仙台市で、土地との協働を通した記録活動をするコレクティブ「NOOK」を立ち上げる。現在は、東京都江東区を拠点に、災禍の記録をリサーチし、それらを活用した表現を模索するプロジェクト「カロクリサイクル」を進めながら、“語れなさ” をテーマに旅をし、物語を書いている。著書に『あわいゆくころ―陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『10年目の手記―震災体験を書く、よむ、編みなおす』(共著、生きのびるブックス)、『New Habitations:from North to East 11 years after 3.11』( 共著、YYY PRESS)がある。